1999年の雑感


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1999/10/06 東海村の事故
1999/10/03 盛田昭夫氏死去

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1999/10/06 東海村の事故

 なんであんな事故が起きたのだろう、ちょっと不思議だ。
 考えてみれば、最大でも臨界量の数分の一しか投入できない設計のプラントで臨界が起こっている。
ふと私は、マーフィーの法則にこのようなものがあったことを思い出した。

「可能性のあることは必ず起こる」

 それを、最悪にしないのが工学における「フェイルセーフ」という思想であるが、今回の事故は設計者の予想をはるかに越えた運用の改悪が行われているのであるから、設計者やプラント製造者(メーカー)を責めるのは酷であるといえよう。しかし、設計上の前提をはるかに超えた運用をした、運用者の責任は大きい。
 TMI(スリーマイル島)原発事故のとき、運用者の質が問題になったという。今回のJCOの事故も作業者が「臨界」ということに対して必要な知識を持たないがゆえの事故であろう。当然、内部の作業手順すら守らなかった作業者には責任があるのであるが(彼らはその責任を身を持って知ることとなった)、その彼らに必要な知識(作業者のしていることに対する危険性のこと)を与えず、「臨界がおきるかも」という問題を全く考えずに、今回の事故を引き起こした原因は管理者にあるといいたい。
 もし管理者が「臨界」に対してまともな知識を持っていないのなら、そのようなものを管理者にした経営者の責任は当然問われるべきであるし、管理者が「臨界」に対してまともな知識をもっているにもかかわらず、あのような事故を誘発するような作業手順を書いたのであれば、当然管理者は責任を問われるべきでるし、そのような管理者を選んだ経営者も連帯して責任を負うべきである。
 しかし、それ以上に問題なのは、あのように危険な物質(核燃料物質)を扱う作業員に対し、フェイルセーフの観点から、その扱いを慎重にするように危険性の教育をしていない点、もしくは日常的にその危険性を啓発する事をしなかった点にあるのであろう。
 今回の事故から教訓を得るとすれば、管理者の勤めというものは、事故の確率が低いほど人は事故がおこらないものと考えがちであるが、それが間違いであるということを折に触れ啓発しなければならないということであろう。

追記:私は多くの原子力関係者が自分の仕事に対し誇りを持っており、危険性に対して十分な配慮を持っていることを知っている。であるから、このような事故を起こす原因となる、一部の輩は十二分な罰を受けるべきだと考える。

関連サイト1:(株)ジェー・シー・オー関連情報(科学技術庁)
関連サイト2:原子力安全委員会
関連サイト3:核燃料サイクル開発機構

註:フェイルセーフ
 もし、機械の故障や人間の重大なミスが起きたとしても、システムをできるだけ安全な状態に、最悪の状態にならないように、速やかに自律的に移行するよう設計するという工学的思想。身近なもので言えば、調理場というシステムにおけるガス漏れ警報機とか、自動車におけるシートベルトとかいったものが思い浮かぶ。もちろん、設計者の想定するような運用がなされているのが条件である。
 ただし、安全な状態というものには、設計者の意向が反映されるため必ずしも運用者の望むような結果にはなるとは限らない。

関連サイト:名古屋空港における中華航空機事故

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1999/10/03 盛田昭夫氏死去

 あまりに悲しいのでWilliam Wordsworthの詩をの一節を掲載する。

In the faith that looks through death,
In years that bring the philosophic

この国を広く世界に紹介し、技術立国という道を開いた盛田昭夫氏のご冥福を祈ります。

関連サイト:SONY株式会社

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